考察

『DRAPLINE』考察|なぜ育てたドラゴン娘が「災い」になるのか?終末と倫理の物語

『DRAPLINE』考察|なぜ育てたドラゴン娘が「災い」になるのか?終末と倫理の物語
Contents
  1. 可愛いドラゴン育成ゲーム…と思ったら終末世界!?
  2. 1年で終わる世界の仕組み
  3. 2周目で「クー」が敵になる理由
  4. あなたは村人を食べますか?倫理と育成のジレンマ
  5. 「静かになった世界」は救いなのか?
  6. プレイヤーは物語の“外側”にいられるか
  7. 『DRAPLINE』が打ち壊した育成ゲームの常識
  8. あなたならどう育てる?
  9. まとめ|この物語は、あなたの「選択」でできている

可愛いドラゴン育成ゲーム…と思ったら終末世界!?

DRAPLINE(ドラプリン) 可愛いドラゴン育成ゲーム…と思ったら終末世界!?

「DRAPLINE(ドラプリン)」というゲームを初めて見たとき、「あっ、ドット絵の可愛いドラゴン娘を育てるゲームなんだ」と思った方、多いのではないでしょうか?
でも、その見た目に油断してプレイを始めると…どこか不穏な空気にすぐ気づくはずです。

見た目と裏腹の世界観

このゲームでは、あなた自身がドラゴン娘「クーちゃん」の“育ての親”となって、彼女と過ごすのはたった1年間。
そして、その1年が終わると――世界が終わるんです。

『DRAPLINE』は、ただの育成ゲームではありません。
かわいらしい見た目とは裏腹に、「倫理」「選択」「責任」といったテーマが、プレイヤーに鋭く突きつけられます。

この世界がなぜ終わるのか、クーちゃんはどんな存在なのか。
なぜ村人を食べるという残酷な選択肢が存在するのか――。
本記事では、そんな『DRAPLINE』の世界観・ストーリー構造・メタ演出を深く掘り下げていきます。

気軽に始めたゲームのはずが、プレイヤーの心をえぐるような問いを投げかけてくる…。
そんな不思議で苦しくて、どこか美しい『DRAPLINE』の物語を、一緒に紐解いていきましょう。

1年で終わる世界の仕組み

DRAPLINE(ドラプリン) 1年で終わる世界の仕組み

48週間という“終わりが決まっている”時間

『DRAPLINE』の世界では、最初から「タイムリミット」が決まっています。
ゲームを始めると、プレイヤーは1年間(=48週間)の間、ドラゴン娘クーを育てながら、世界に迫る「災い」へ立ち向かう準備をすることになります。

この48週間という期間は、決して伸ばすことができません。
時間が過ぎれば、どんなに育成が中途半端でも、どんな選択をしていても、「最後の日」がやってきます。

まるで、限られた時間のなかで誰かを導かなければいけない運命のようで、少し切ないですよね。

神龍「クー」は何のために生まれたの?

神龍クーの正体

クーちゃんは「神龍(しんりゅう)」と呼ばれる、特別な存在。
この星が産み出した、たったひとりの“守護者”です。

彼女は、生まれたばかりの赤ちゃんの姿から始まり、
プレイヤーであるあなたの導きと「食事」を通じて、ぐんぐんと成長していきます。

でも、その“食事”にはちょっとした秘密があります。
クーちゃんは、野菜やお肉といった普通のものだけじゃなく、木材、鉄、岩、さらには村人や建物まで食べられるんです。
この設定が、後にとても重たい意味を持ってくるのですが…それはまた後ほど。

「育てて、戦って、終わる」ローグライトの構造

ゲームは1週ごとに「食事・訓練・探索・交流」などの行動を選んでいき、
週を追うごとにクーちゃんは強くなり、変化していきます。

そして1年が経過すると、いよいよ最終ボス「ウロボロス」との決戦に突入します。
この戦いは避けることができません。勝つか負けるか、それとも別の結末を迎えるのか――
それは、あなたの選択次第です。

この1年の物語は、ループ構造になっていて、ゲームをクリアするとまた新たな1年が始まります。
プレイヤーは前の周で得た育成ボーナスや知識を活かして、次のクーちゃんをより強く育てることができます。

でも、不思議なことに…「前のクーちゃんの面影」を、次のクーちゃんがふと感じてしまうような演出があるんです。
それってつまり――プレイヤーが育てた過去のクーちゃんは、本当に消えてしまったのか?
そんな疑問が、じわじわと心を締めつけてきます。

2周目で「クー」が敵になる理由

DRAPLINE(ドラプリン) 2周目で「クー」が敵になる理由

「最後の戦い」から始まる、奇妙なチュートリアル

『DRAPLINE』を始めたとき、最初のチュートリアルでいきなりこんな言葉が出てきませんでしたか?

「これは最後の戦いです。師匠、指示をお願いします」

プレイヤーがゲームを始めたばかりなのに、「最後の戦い」なんて、ちょっと意味がわからないですよね。

でもこのシーンは、後から振り返るととても重要な意味を持っています。
もしかしたら、今操作しているクーちゃんは、“あなたが以前に育てたクー”かもしれないんです。

つまり、チュートリアルの「最後の戦い」は、あなた自身が育てたドラゴン娘が、何かと戦って終わる場面だった可能性があるということ。
しかも、その相手は――次のあなたかもしれないんです。

「クー」という名前が使えなくなる、不穏なサイン

2周目以降の名前制限

『DRAPLINE』を2周目、3周目と進めていくと、あるタイミングで気づくことがあります。

それは、新しく育てるドラゴン娘に「クー」という名前を付けられなくなること。

「えっ、なんで…?」と思う方も多いはず。これは、単なる仕様ではありません。

これは、過去にあなたが育てた「クー」は、もうどこかで生きている(=存在している)ことを示しているんです。

そう考えると、怖いですよね。
だって、自分が育てたはずの子が、別の世界で何かになっているかもしれない…。
それも、もしそれが「新たな災い」だったとしたら――。

「災い」として立ちはだかる、あなたのクーちゃん

物語が進むと、世界を脅かす存在として「災竜(さいりゅう)」と呼ばれるボスキャラたちが登場します。
チャムやサンダーといった竜たちは、クーちゃんと同じように「星の加護」を持つ存在です。

この「星の加護」は、本来なら神龍=クーちゃんだけが持つ特別な力のはず。
でも、それと同じ力を持った敵が現れるということは――
かつてのクーちゃんが、災いとなって再登場している可能性もあるんです。

しかも、もしプレイヤーが「ワイルド」寄りに育成していたとしたら、
そのクーちゃんは理性を失い、力だけの存在になっていたかもしれません。

かつてあなたが愛情を注いで育てた子が、別の周であなたの前に立ちふさがる…。
そんな“因果の輪”が、このゲームのループ構造に潜んでいます。

育成は「愛」か「業」か

問いかけられる育成の意味

『DRAPLINE』では、プレイヤーがどんな選択をしたかによって、クーちゃんの性格も行動も変わっていきます。
そして、それはただの一時的な変化ではなく、次の世界にも“影”を落とすのです。

育て方次第で、クーちゃんは人を助ける存在にもなれるし、
逆に誰も信じず、すべてを食い尽くす「災い」にもなり得ます。

このシステムは、まるで「育てる」という行為そのものに責任を問われているようで、
とてもゲームとは思えないような、切実さがあります。

「私があの子をこんなふうにしちゃったんだ…」
「もっと違う選択をしていれば…」

そう感じた瞬間、プレイヤーはただの操作する存在ではなく、
“物語の一部を生み出す当事者”になるのです。

あなたは村人を食べますか?倫理と育成のジレンマ

DRAPLINE(ドラプリン) :「静かになった世界」は救いなのか?

この子のために、誰かを犠牲にしてもいいの?

『DRAPLINE』のプレイ中、きっと誰もが一度は迷うであろう選択肢があります。

それは――「村人を食べさせるかどうか」という問いです。

クーちゃんは何でも食べられるドラゴン娘。
魚や野菜はもちろん、木や鉄、さらには生きている人間までも“ごちそう”として出されることがあります。

たとえば、親切に接してくれる村のおばあさんや、何度も顔を合わせる商人さん。
彼らに対して、画面の中でこう聞かれるのです。

「この人を食べさせますか?」

選択肢は「はい」と「いいえ」だけ。
でも、その一言に込められた“重さ”は、とても育成ゲームのそれとは思えません。

「強くなる」ことが、必ずしも正しいとは限らない

効率か、倫理か

実を言うと、村人を食べさせるとクーちゃんのステータスはかなり上がります。
攻撃力やHP、時には特別なスキルまで手に入ることもあり、「この子を強くしたい」という想いにはとても魅力的に映ります。

でも、その代償として――村人は消えてしまい、二度と戻ってきません。
その人に関わるイベントや報酬も失われ、村の空気がどんどん変わっていきます。

そして、何よりもプレイヤー自身が「本当にこの選択でよかったのか?」という疑問を抱くようになります。

育成の効率を取るか、倫理を守るか。
『DRAPLINE』は、プレイヤーに「目的のために手段を選ばない」育成が本当に正しいのかを問いかけてきます。

「ワイルド」に傾くと、クーは制御不能に

村人を食べさせたり、敵を捕食し続けると、クーちゃんの性格は「ワイルド」寄りになっていきます。
この「WILD」と「RULE」という気質システムは、ゲームの根幹ともいえる要素です。

WILDに傾くと…

  • ステータスの伸びが早く、どんどん強くなる
  • 戦闘後、敵を自動的に食べるようになる
  • プレイヤーの指示に従わず、勝手に動くようになる

やがて、プレイヤー自身を“ごちそう”として見るようになることも…。

これが、いわゆる「身近なごちそうエンド」と呼ばれる悲劇のひとつです。
一緒に笑い合っていたクーちゃんが、何の躊躇もなくあなたを食べてしまう――
そんな未来が訪れることも、プレイヤーの選択次第なのです。

「倫理」と「強さ」の天秤に揺れるプレイヤー

選択はあなた次第

「強くなってほしい」
「でも、人を食べさせたくない」
「けど、このままだと世界を守れないかも…」

そんなふうに、自分の中の気持ちが揺れ動く瞬間が、何度も訪れます。

ルールを守って穏やかに育てることもできるし、力を求めてモンスターにすることもできる。
『DRAPLINE』の育成は、どちらが“正解”とは決して教えてくれません。

だからこそ、クーちゃんと過ごす1年間は、まるで「あなた自身の価値観を映す鏡」のよう。

誰かを犠牲にすることで、守れるものがある。
でも、それは本当に「守った」といえるのか。
あなたの選んだその道が、クーちゃんをどんな存在に育てあげるのか――。

次の章では、そうした選択の果てに用意された「さまざまなエンディング」と、
プレイヤーの倫理がどう物語に影響するのかを掘り下げていきます。

「静かになった世界」は救いなのか?

DRAPLINE(ドラプリン) プレイヤーは物語の“外側”にいられるか

「静かになった世界」という一見“正解”なエンディング

『DRAPLINE』にはいくつかのエンディングが用意されていますが、その中でも特に印象的なのが――
「静かになった世界」という結末です。

このエンディングは、1年の育成を終え、最終ボスである「ウロボロス」を倒すことで到達します。
プレイヤーとしては、きちんと育て上げて、世界の危機を乗り越えたという達成感があるはずです。

でも、画面に表示されるその言葉「静かになった世界」は、どこか…冷たく、寂しげに響きませんか?

まるで、誰もいなくなった後の静寂。
クーちゃんは本当に“救われた”のか?
世界は“元に戻った”のか?

このエンディングには、明るさや希望よりも、「虚無」や「余白」を感じた方も多いのではないでしょうか。

「救われた」はずなのに、どこか空しい理由

終わりきらない終わり

この結末が腑に落ちないのは、エンディング後の演出にも理由があります。

  • クーちゃんや村人の“その後”が一切語られない
  • 物語が「これで終わり」とはっきり明言されない
  • セーブデータが新たな周回を促してくる

こうした要素は、プレイヤーに「本当にこれで終わっていいのか?」という疑念を残します。

しかも、実際にこのエンディングを迎えたプレイヤーの間では、

「あれ、まだ何か隠されてる気がする」
「これはハッピーエンドとは言えないかも…」

という声も多く、“真のエンディング”がまだ存在するのでは?”という考察すら生まれています。

つまり、「静かになった世界」は、決して“完全な勝利”ではないのです。

「選択の結果」が反映される他のエンディングたち

『DRAPLINE』では、「静かになった世界」以外にも、
プレイヤーの選択によって様々なエンディングが分岐します。

以下に代表的なものをいくつかご紹介します。

「ご利用は計画的に」エンド
借金を繰り返し、返済せずに育成を続けた場合、クーちゃんが地下労働施設に送られてしまう結末です。
金策を軽く見ていたプレイヤーへの“現実的すぎる警告”ともいえるエンドです。

「参りました…」エンド
人を食べすぎたクーちゃんが、監視者モルゲンティアナに見つかり、封印されてしまいます。
力を求めすぎた代償が、封印という“軟禁”という形で下されるのが特徴です。

「新たな災い」エンド
「参りました…」の条件に近いものの、モルゲンティアナを逆に倒してしまう場合に発生。
クーちゃんは守護者としての姿を捨て、次なる災いとなってこの地を去っていきます。
これはまさに、「あなたが育てた災いが次の世界へ向かう」という恐ろしいループの始まりです。

「身近なごちそう」エンド
ワイルドに育ちきったクーちゃんが、プレイヤーを“食べる”ことで迎える衝撃のエンディング。
それまでの愛情や絆が一瞬で断ち切られ、「私、どんな育て方をしてしまったんだろう…」と、深い後悔に襲われる結末です。

こうして見ると、『DRAPLINE』のエンディングはどれも“あなたの育て方”がそのまま映し出されたものです。
つまり、プレイヤーの選択が物語の結末をつくっているのです。

それは、ただのマルチエンディングではなく――
プレイヤーの「責任」を問う物語ともいえるでしょう。

本当に“正しい選択”なんてあるの?

選ぶのは、あなた

ここまで読み進めてきて、「じゃあどう育てるのが正しいの?」と思う方もいるかもしれません。

でも、『DRAPLINE』はその問いに明確な“正解”を用意していません。
むしろ、「あなた自身が考えて選んだ道こそが、物語になる」と言っているように感じられます。

もしかすると、最終的なエンディングを左右するのは、
数値やルート分岐ではなく、「あなたの心が納得できる選択だったかどうか」なのかもしれません。

プレイヤーは物語の“外側”にいられるか

DRAPLINE(ドラプリン) :『DRAPLINE』が打ち壊した育成ゲームの常識

「第四の壁」を越えてくる、クーちゃんのまなざし

多くのゲームでは、プレイヤーは“外側”の存在として、安全な場所から物語を見守ることができます。
しかし、『DRAPLINE』では、その安心感が、ある日突然崩れ去ります。

ゲーム開始時、プレイヤーはドラゴン娘「クー」の“保護者”や“師匠”として名前を入力します。
すると物語の中で、登場人物たちはまるで本当にプレイヤーがそこに存在するかのように話しかけてきます。

クーちゃんはあなたを「師匠」と呼び、イベントの合間にはこう語りかけます。

「それ、いつも師匠が言ってたよね」
「師匠、私のこと…どう思ってる?」

この時点で、『DRAPLINE』はプレイヤーに“観察者”ではなく“物語の当事者”であることを突きつけてきます。

もう、物語の外にはいられない。
あなたはこの世界の中で、確かに誰かを導き、迷わせ、時に傷つける存在なのです。

「選択」が倫理を試される仕組み

あなたの選択が運命を決める

本作では、クーちゃんの食事に関する選択肢や行動の一つひとつが、
ゲーム的な“強化”としてだけでなく、倫理的な重みを帯びています。

  • 村人を食べる → ステータスが大きく上がる
  • 借金を繰り返す → クーちゃんは苦労を背負う
  • 敵を容赦なく捕食する → ワイルド化が進行

このように、「プレイヤーの都合」によってクーちゃんの人格や運命が決まってしまうのです。

でも、それは本当に“師匠”の姿でしょうか?

時にはクーちゃん自身がプレイヤーに問いかけてくることもあります。
その無垢な問いが、プレイヤーの中に眠る葛藤や罪悪感を引きずり出してくるのです。

ゲームの世界のはずなのに、なぜこんなにも苦しいのか。
それは、『DRAPLINE』がプレイヤーの「価値観」と真正面から向き合ってくるからなのです。

「繰り返す」ことで深まる“業(カルマ)”

『DRAPLINE』はローグライト形式で、周回プレイを前提とした構造になっています。
しかしその周回は、単なるやり直しではありません。

  • 前周のクーちゃんを思わせるセリフ
  • 選択を繰り返すことで、微妙に変化する世界の空気
  • “またあなた?”と言われるような不気味な反応

これらの要素は、「前の世界でのあなたの行動が、確かに“残っている”」ことを暗示しています。

何度も繰り返すうちに、プレイヤー自身の心にも、“積み重なっていく何か”が生まれます。
それは単なるプレイ履歴ではなく、あなたが育ててしまった存在の記憶、
そしてその結果生まれた「責任」のような重みかもしれません。

そう――プレイヤーが選んだ道の先にあるのは、育てたクーちゃんの未来だけでなく、
「あなたの業」そのものなのです。

「プレイヤーの存在」すらも取り込む物語

物語があなたを見ている

本作のメタフィクション的な演出は、時にセーブデータやシステムそのものにまで及びます。

  • 周回によって使えなくなる名前
  • 他のセーブスロットでの行動を察する台詞
  • 明らかに“プレイヤーの現実”に干渉してくるような演出

まるでゲームがあなたの行動を“記録”していて、
その「あなたらしさ」さえ物語の一部として取り込まれているかのようです。

これはただの演出ではありません。
あなたが育てたもの、選んだもの、見逃したもの――すべてが物語に刻まれる。
そういう“取り返しのつかなさ”が、このゲームの根底に流れているのです。

『DRAPLINE』が打ち壊した育成ゲームの常識

「育てる=愛される」は、もう通用しない?

従来の育成ゲームといえば、思い浮かぶのは――
「手間ひまかけてキャラを育てると、どんどん懐いてくれて、最後は感動的な別れが待っている」
そんな心温まるストーリーではないでしょうか。

でも『DRAPLINE』は、その“常識”を真っ向から裏切ります。

育てる過程で手に入るのは、
ほっこりした癒しではなく、問いかけや葛藤、そして責任。

可愛くて健気だったクーちゃんが、
時には人を食べ、プレイヤーに牙を剥く存在へと変貌することもある。
そのすべてが、あなたの育て方に起因しているとしたら――

「育てた結果、世界を救った」のではなく、
「育てた結果、世界を壊した」
そう言われる可能性すらあるのです。

これは、育成ゲームにありがちな“予定調和”を完全に壊す構造です。

「何でも食べられる」設定が引き起こす“罪”

ユニークさの裏に潜む倫理の刃

『DRAPLINE』の最大の特徴といえるのが、クーちゃんの“なんでも食べられる”という特性。

この設定自体は、最初はちょっとユニークで面白そうに思えますよね。
でも実際にプレイしてみると、その重みがじわじわと心にのしかかってきます。

村人、家、隣の町、果ては大地そのものまでも“食事”として提示されるなかで、
プレイヤーは「何を食べさせるのか?」という選択を迫られ続けます。

しかも、“倫理に反するほどステータスが伸びやすい”という仕様が、
プレイヤーを何度も誘惑してくるのです。

これにより、プレイヤーは「最適な育成」と「道徳的な葛藤」の板挟みになります。

「正しい育て方」なんて簡単にはわからない。
でも、選ばなければ育たない。
そんな現代的な“育てる責任”が、ゲーム体験の中心に据えられているのです。

「WILD」と「RULE」の性格がもたらす分岐の深さ

『DRAPLINE』では、育てたクーちゃんの行動や性格が、「WILD(野生的)」か「RULE(規律的)」に傾くことで大きく変化します。

  • WILDルート:強さ重視。捕食本能が高まり、指示に従わず暴走することも。
  • RULEルート:安定志向。戦闘中の支援能力や従順さが増しますが、成長スピードはやや控えめ。

この「気質」システムが、ただの数値変化にとどまらず、
イベントの内容やクーちゃんのセリフ、エンディング分岐にも大きく影響するのが特徴です。

つまり、『DRAPLINE』ではキャラの性格が「選択によって育つ」だけでなく、
その性格によって「物語自体が変化する」構造になっているのです。

まるで、生きているように変わっていくクーちゃん。
その変化を目の当たりにするたび、プレイヤーは「自分が育てた命の重み」を感じさせられることになります。

可愛さとグロさのギャップが生む“衝撃”

ドット絵の“可愛さ”が導く、最も残酷な選択

ドット絵で描かれたクーちゃんや村人たちは、とても可愛らしい見た目をしています。
優しい色使いと、ほんわかしたBGM。最初はほっこりしたゲームかな?と思ってしまうかもしれません。

でも、いざ村人を食べる場面になると――
BGMは止まり、選択肢は無音で表示され、
画面は不穏なエフェクトに包まれます。

この“ギャップ”が生み出す演出効果はとても大きく、
可愛さに慣れたプレイヤーの心に、静かに強烈な衝撃を与えるのです。

可愛いからこそ、ショックが大きい。
ほのぼのとした雰囲気の中で突然現れる倫理の裂け目。
それが『DRAPLINE』の世界観を、より不気味で記憶に残るものにしています。

あなたならどう育てる?

選ぶのは育成方針ではなく、「あなたの答え」

『DRAPLINE』をプレイしていると、ゲームというよりも、
一冊の物語を共に書いているような感覚に陥ります。

育て方によってクーちゃんの性格も、能力も、結末も変わっていく。
でも、それは決して「攻略の最適解」を探すためではなく――
「あなた自身がどんな答えを選ぶのか?」を、試されているようにも感じられるのです。

このゲームは、誰かが決めた“良い育て方”に従うだけでは、決して満足できません。
むしろ、自分自身の感情や倫理観と向き合いながら育てることで、初めて物語が“あなたのもの”になるのです。

「この子の未来に責任を持てますか?」

育てる覚悟が試される世界

最初は泣いてばかりだったクーちゃんも、育てていくうちに表情が豊かになり、
少しずつあなたに心を開いていきます。

でもその一方で、

  • 人を食べさせれば、迷いなく次も食べようとするようになり
  • 借金に頼れば、その苦しみを当たり前のように背負い
  • 戦い続ければ、争いを「正義」として受け止めるようになる

――すべてが、「師匠」であるあなたの影響。

つまりこのゲームは、育てた結果がどうなろうと、プレイヤーがその結末に責任を持たなければならない構造になっているのです。

それはとても厳しく、時に胸が痛くなるような体験です。
でも同時に、だからこそクーちゃんという存在が、
単なるゲームキャラではなく「かけがえのない一人の子」に感じられるのかもしれません。

「世界を守る」とは、誰を守ることなのか?

『DRAPLINE』では、1年後に訪れる“災い”から世界を守ることが、プレイヤーの大きな目的とされています。

けれども、クーちゃんを強くするために村人を食べ、
他人の犠牲を当然のように積み重ね、
最終的に“災い”と呼ばれる存在そのものに育ててしまったとしたら…

それは本当に「世界を守った」と言えるのでしょうか?

もしかすると、あなたが守ろうとしていた世界とは――
クーちゃん自身の心や、他者との信頼関係だったのかもしれません。

力で災いをねじ伏せるのではなく、
どんな道を通っても、この子を「誰かを傷つけない存在」として導いていくこと。
それこそが、真の意味での「育てる」という行為なのではないでしょうか。

たったひとつの正解は、あなたの心の中に

正解は、あなたの“答え”に宿る

ここまで、さまざまな育成方針やエンディング、倫理的な選択についてご紹介してきましたが――
最後に問いたいのは、ただひとつ。

あなたなら、どう育てますか?

  • 人を食べても、強くなってほしいですか?
  • 借金してでも、この子に贅沢させたいですか?
  • それとも、弱くても誠実な心を持っていてほしいですか?

『DRAPLINE』は、プレイヤーの行動を何も否定しません。
でも、必ず“結果”を見せてきます。

その結果を、あなたは受け止められますか?
「これでよかった」と、クーちゃんに胸を張って言えますか?

それが、このゲームの一番深いところであり、
そして唯一、プレイヤーにしか出せない「答え」なのだと思います。

まとめ|この物語は、あなたの「選択」でできている

『DRAPLINE』は、見た目の可愛らしさに反して、
深く、鋭く、プレイヤーの心に切り込んでくる作品です。

  • どんな選択をするか。
  • 何を食べさせるか。
  • 誰を守るか。
  • どんな未来を信じるか。

それらすべてが、クーちゃんの育ち方に影響を与え、
物語の結末を変えていきます。

そしてその選択は、どれも正解でも間違いでもなく、
あなた自身がどう向き合ったか、その“痕跡”であり“証”です。

このゲームがプレイヤーに問いかけているのは、
「どんな風に育てた?」ではなく、
「あなたはその子と、どんな関係を築いた?」ということ。

だからこそ、すべてのプレイが唯一無二で、
すべてのエンディングが、あなたの物語になるのです。

どうかこの世界で、あなただけの「クーちゃん」と、
あなた自身の“答え”を見つけてください。

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